先日社長含め3名で研修にいってまいりました。
大田原を代表するものを探しに〜
「日本三古碑」の一つにかぞえられる貴重な古代石碑
国宝!那須国造碑【なすのくにのみやつこのひ】を見に笠石神社⛩へ。
他には
【群馬県高崎市吉井町の多胡碑(たごひ)】
【宮城県多賀城市の多賀城碑(たがじょうひ)】
があります。
現在、産学官連携で新商品開発事業で実験をしている弊社の花崗岩。
この碑は花崗岩で造られたものであり期待が高まります☺️
弊社からは近く、いつも通り過ぎていましたが、こんなに凄いものがあった事に驚きましたー!
さて、宮司さんに挨拶をして碑を見せてもらおうと思いましたが、歴史を辿ってから見た方がいいとおっしゃっていただき、『確かに…何も知らない💦』と、思い話しを聞く事に〜
神主『20分間の話になりますよ〜』と😅
やはり、国宝級は簡単には語りきれないのだと理解しました。
『那須国造であった那須直韋提(なすのあたいいで)は、西暦689年に朝廷から評督(こおりのかみ)という官職を賜った。西暦700年になって那須直韋提が亡くなり、その子意斯麻呂(おしまろ)が故人を偲び、この碑を建てた・・・・』と。
(あってるかな??😅)
この文章で、
「7世紀後半(西暦689年)に那須国が下野国に組み込まれたこと」
「7世紀後半、郡ではなく評が使われていたこと」
などがわかってきたそうです。
江戸時代に入り、
水戸黄門で知られる徳川光圀が
草むらに埋もれていたこの石碑を発見し、石碑を守るためのお堂が建てられたそうです。(笠石神社)
石碑に刻まれた人物が古墳に葬られているかも!と想像し、助さんに指示し、上侍塚古墳と下侍塚古墳の発掘を行っています。(こちらも、すぐ近くにあります)
ですが、被葬者のわかる墓誌は発掘できなかったそうです。
思っていたよりも何倍も凄い歴史があり、日本に国宝というものが出来て僅か3年後には登録されているという『那須国造』。
飛鳥時代💦
徳川光圀💦
古墳💦
頭が追いつかない😅
色々と優しく教えて頂き、知識を入れた後はいよいよご対面!
鳥居⛩の前に来ると、シーンとしてて少し肌寒い感じがする。
とてつもない力が宿っている気配…
一歩一歩踏み出して行くと、那須国造の碑が祀られている門の前に。
今まで見た事のない様な頑丈な鍵を開けてもらい、いざオープン‼️
圧巻の存在感‼️
とても飛鳥時代に造られたとは思えないほどの、ピカピカ‼️
彫られている字も丁寧で綺麗、現代の技術で彫られたかの様なクオリティー‼️
今まで興味のない私ですら、ずーっと、見ていられる!飽きない!
感想を単刀直入に言う。
昔の人は凄いです👏
参りました🙌
この研修を参考に、今後のパッケージ制作に活かしていきたい思います😊
残念ながら写真の撮影はNGという事なので、販売されているお写真をパシャリ✨
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